こんにちは。aokuookikuです。
今日は、何かを行う前に、そこから想像している成果を得るために大事なこと見失っているなー、というのを学校現場の例からお届けしたいと思います。
かなり基本的なことです。自分が今やっていることに照らし合わせてみてください。では、いきましょう。
目的→手段
プロジェクトというのは、目的があって行われます。
学校現場では、「子どもたちにこういうことを考えてほしい」、「こういうことに気づいてほしい」、「こういう経験をしてほしい」、「こういう力を身につけてほしい」。
学力に限らず、さまざまな場面での成長を考えて計画(プロジェクト)されています。
学校だけでなく、家庭でも同じではないでしょうか。こういう子に育ってほしい、こういうことができるようになってほしい、そういう想いがあると思います。
そして、次に、その目的を達成する(プロジェクトを成功させる)ために、どのような取り組みが必要か考えるはずです。
学校現場では、「こんな行事を通して」、「この実験を通して」、家庭であれば、「この習い事を通して」、「こういう家庭のルールを通して」などの手段を考えるでしょう。
考えた結果、こういうふうになるだろうというある程度のイメージを元に、実際にその計画(プロジェクト)がスタートするのではないでしょうか。
「失敗=悪いこと」から抜け出そう
ただ、これまで、そういうふうに計画してきたこと全てが上手くいったでしょうか?どちらかといえば、失敗の方が多いのではないでしょうか?
もちろん、失敗することは悪いことではありません。
その失敗から何かを得て、次成功することができれば、失敗は成功の中の過程の一つになるので、実質失敗なんて存在しない。と私は思っています。
でも、失敗する確率を下げる、計画からイメージ通りの効果を得るための努力、思考は大切です。
失敗する確率が高い人、イメージ通りに進まない人には、さまざまな原因があると思いますが、多くの人が陥っているのが、タイトルにもある「手段の目的化」です。
「手段の目的化」現場より
英語の単語力をつけるという目的のために、毎日1ページ分、英単語をノート書き、宿題として提出し、その取り組みを教員がチェックするという手段をとったとします。
たかだか1日1ページであっても毎日の時間を積み重ねることができれば、1年で考えてもかなりの単語に触れることができますし、取り組み方を工夫すれば(発音しながらとか、一定期間周期でそろそろ忘れてきたやつを書くとか)、かなりの力になると思います。
1日10分程度の時間で1年かけて力をつけていく、取り組みとしては十分ではないでしょうか。
問題は、この取り組みではなく、取り組んでいくにつれて変化してくる意識の部分です。
「先生に怒られるから提出する、連帯責任でページ数が増えるから提出する。」
もう完全に、ノートを欠かさずに提出し、先生に指導されない、ペナルティーを受けない、が目的になってしまい、英語力をつけるという目的は一部の生徒の頭の片隅にもありません(もちろん全ての生徒ではない。間違いなく充実した反復練習を行っている生徒もいる)。
だから、作業的に単語を書いただけのノートが出来上がってきます。
これが、手段の目的化です。
いろんな場面で言われていることではありますし、それに気づいているけれども、日常のいろんなことに悩殺されていて、本当の目的を失っている取り組みが皆さんの周りにありませんか。
もう一度見直して、それが何の目的で始められたものなのか考えましょう。
考えることをやめたらおしまいです。考えなくてもできることは機械に任せましょう。
日々の取り組みが、目的達成のために実りあるものでありますように。
学校現場より、以上です!
おやすみなさい。
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